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ブログ

2023.06.22

幸せな人、不幸な人

黒地方と白地方

ある旅人が、長いハシの国に立ち寄った時のことだ。
この国は変わった国で、黒地方と白地方に分かれていた。
決して、互いに喧嘩しているわけではなかったが、白地方の人間は、黒地方の人間をできるだけ領土に入れたくないと考えていた。

旅人は、その国の国境まで来た時、大きな看板を見つけた。
その看板を境に、右の道は黒地方に、左の道は白地方に続いていた。

旅人はまず、黒地方に行ってみようと思って、右の道へと進んでいった。

“黒” 地方

旅人が黒地方に入ると、街は荒廃し、あちこちから怒号やうめき声、すすり泣く声が聞こえてきた。
痛みと苦しみに満ちた叫びが溢れる中、旅人はこれ以上進んでいいものかと躊躇したが、腹も減っていたので、せっかくだから何か名物でも食べてから、“黒”地方をあとにしようと考えた。

そこで、目についた一軒の食堂に入った。すると…

そこには大きなテーブルが一つ、そのテーブルを囲んで何十人という人が座っていた。
テーブルの真ん中には、それはもう美味しそうなご馳走が、所狭しと並んでいた。
すべての人は、お皿まで届く長いハシを持っていた…にも関わらず、

人々は餓死寸前だった。

理由は明白だった。
その長いハシは、腕の長さの3倍はありそうなハシだったのだが、そのハシはそれぞれの人の手に固定されており、料理をつかむことができても、それを口まで運べる者は一人もいなかったのだ。

しかし、皆自分こそは料理を食べようと、その長いハシで互いを攻撃し、我先にと料理を奪い合っていた。

旅人は、この絶望的な光景に耐えきれず、急いで店を出て“黒”地方をあとにした。

“白” 地方

旅人は、白地方に進んだ。
同じような道を歩いていくと、とてもきれいな街に行き着いた。
怒号やうめき声が聞こえることは一切なく、街中は笑い声と美しい花に溢れていた。
旅人は、いよいよお腹が減っていたので、一軒の食堂に入った。

ここでもまた、大きなテーブルが一つ、そのテーブルを何十人という人が囲んでいた。
テーブルの真ん中には、それはもう美味しそうなご馳走が、所狭しと並んでいた。
すべての人は、お皿まで届く長いハシを持っており、それもまた手に固定されていた。

しかし、ここでは誰も文句を言ったり、嘆いたり、奪い合う姿はなかった。
誰も空腹に苦しんでいなかった。なぜなら…

彼らは長いハシを使って、互いの口に料理を運び合っていたからだ。

旅人は静かに微笑み、その一席に腰を下ろしたのでした。

テイカーとギバー

世の中には、テイカー(奪う人)と、ギバー(与える人)が存在します。

私が高校生の時、ヨースケ君という友達がいました。
彼の家はいたって普通の一般家庭でした。しかし、育ち盛りのせいかいつもお腹を空かせており、自分の弁当を食べた後でも、人の弁当からおこぼれをもらっていました。
教科書なども基本は持ってこず手ぶらで登校し、文具やノートも人から借りていました。

最初は、彼の「ちょっとちょうだい」、「ごめん、貸して」という言葉に善意でかまっていたクラスのメンバー。しかし、彼が自分では動く努力もせず、変わる気もさらさらないということを察したメンバーは、彼の元から一人、また一人と去っていきました。

卒業する頃には、彼は一人になっていました。
中学生時代のヨースケ君を知る友人に聞いた話ですが、中学でもおんなじことをして孤立したそう。

もし、この中高の体験から彼が何も学ばなかったら、きっと大学や就職先でも、彼は孤立のプロフェッショナルになるでしょう。孤立が嫌で人の温もりを求めた先でも、その矢先に周りから人が離れていくのです。

幸福度

世界中では、面白いアンケートが行われています。
「自分は幸せだと思うか、それとも不幸だと思うか?」という簡単なテストです。

面白いことに、日本は治安も良くライフラインも完備、食べ物も美味しい…にも関わらず、幸せ度は高くはありません。

一方で、アフリカの一部の国やパリなどでは、晴れよりも雨の方が多いため、晴れただけで、幸せだと感じるのだそうです。これらの国は日本よりも幸福度ランキングは高いのです。
日照量の多い日本では、晴れや雨で幸せに浸る人は少ないでしょう。

今の日本では、生まれた時から、蛇口を捻れば水が出て、コンロを回せば火が出て、スイッチ一つで夜の闇から解放されます。そんな生活が当たり前のため、それが奇跡なんだ、幸せなことなんだ、とは誰も思いません。

日本では電車が5分遅れただけで、大混乱です。それだけで文句が飛び交います。
海外では、電車が遅れるなんて日常茶飯事で、誰も怒りません。

本来なら、「それどうでも良くない?」という、怒ることではないことに怒りたがり、「それってすごい幸せだよね」という、幸せを感じるべきところにを幸せを感じない…

幸せというのは、手で触れることのできる物体でなく、生きた体験です。
そしてその体験をどう感じるか、という一連の反応であり、これもまた学習なのです。

幸福度を高めるシンプル方法

では、どのようにすれば気づけないことに気づき、そうしたものに対して、幸せだと感じることができるようになるのでしょう?

実は、そのやり方は非常にシンプルです。

「不幸な人は、人が自分にしてくれなかったことの数を数えている。幸せな人は、人が自分にしてくれたことの数を数えている。」

なんて言われたりしますが、つまりは

  • 「人がしてくれたことの数」
  • 「身の回りにあって、自分が日々使っているものの数」

これを数えるだけでいいんです。

どうです?簡単でしょ?

そしてやってみたらすぐ分かるのですが、ありすぎて数えるのが大変…!となるでしょう。
そして同時に、豊かさや、それに対しての感謝が自然と湧いてくることに気付くかもしれません。